狂人の音楽
空気(くうき)は甘し......また赤し......黄(き)に...... はた、緑(みどり)......
晩夏(おそなつ)の午後五時半の日光(につくわう)は※(「日/咎」、第3水準1-85-32)(かげり)を見せて、
蒸し暑く噴水(ふきゐ)に濡(ぬ)れて照りかへす。
瘋癲院(ふうてんゐん)の陰鬱(いんうつ)に硝子(がらす)は光り、
草場(くさば)には青き飛沫(しぶき)の茴香酒(アブサント)冷(ひ)えたちわたる。
いま狂人(きやうじん)のひと群(むれ)は空うち仰ふぎ――
饗宴(きやうえん)の楽器(がくき)とりどりかき抱(いだ)き、自棄(やけ)に、しみらに、
傷(きず)つける獣(けもの)のごとき雲の面(おも)
ひたに怖れて色盲(しきまう)の幻覚(まぼろし)を見る。
空気(くうき)は重し......また赤し......共に......はた緑(みどり)......
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オボイ鳴る......また、トロムボオン......
狂(くる)ほしき※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)オラの唸(うなり)......
一人(ひとり)の酸(す)ゆき音(ね)は飛びて怜羊(かもしか)となり、
ひとつは赤き顔ゑがき、笑(わら)ひわななく
音(ね)の恐怖(おそれ)......はた、ほのしろき髑髏舞(どくろまひ)......
弾(ひ)け弾(ひ)け...... 鳴らせ......また舞踏(をど)れ......
セロの、喇叭(らつぱ)の蛇(へび)の香(か)よ、
はた、爛(たゞ)れ泣く※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)オロンの空には赤子飛びみだれ、
妄想狂(まうさうきやう)のめぐりにはバツソの盲目(めしひ)
小さなる骸色(しかばねいろ)の呪咀(のろひ)して逃(のが)れふためく。
弾け弾け......鳴らせ......また舞踏(をど)れ......
クラリネッ卜の槍尖(やりさき)よ、
曲節(メロヂア)のひらめき緩(ゆる)く、また急(はや)く、
アルト歌者(うたひ)のなげかひを暈(くら)ましながら、
一列(ひとつらね)、血しほしたたる神経(しんけい)の
壁の煉瓦(れんぐわ)のもとを行(ゆ)く......
弾け弾け......鳴らせ......また舞踏(をど)れ......、
かなしみの蛇(へび)、緑(みどり)の眼(め)
槍(やり)に貫(ぬ)かれてまた歎(なげ)く......
弾け弾け......鳴らせ......また舞踏(をど)れ......
はた、吹笛(フルウト)の香(か)のしぶき、
青じろき花どくだみの鋭(するど)さに、
濁りて光る山椒魚(さんしようを)、沼(ぬま)の調(しらべ)に音(ね)は瀞(とろ)む。
弾け弾け......鳴らせ......また舞踏(をど)れ......
傷(きずつ)きめぐる観覧車(くわんらんしや)、
はたや、太皷(たいこ)の悶絶(もんぜつ)に列(つら)なり走(はし)る槍尖(やりさき)よ、
※(「窗/心」、第3水準1-89-54)の硝子(がらす)に火は叫(さけ)び、
月琴(げつきん)の雨ふりそそぐ......
弾(ひ)け弾(ひ)け...... 鳴らせ......また舞踏(をど)れ......
赤き神経(しんけい)......盲(めし)ひし血......
聾(ろう)せる脳の鑢(やすり)の音(ね)......
弾け弾け......鳴らせ......また舞踏(をど)れ......
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空気(くうき)は酸(すゆ)し......いま青し......黄(き)に...... なほ赤く......
はやも見よ、日の入りがたの雲の色
狂気(きやうき)の楽(がく)の音(ね)につれて波だちわたり、
悪獣の蹠(あなうら)のごと血を滴(たら)す。
そがもとに噴水(ふきゐ)のむせび
濡れ濡れて薄闇(うすやみ)に入る......
空気(くうき)は重し......なほ赤し......黄(き)に...... また緑(みどり)......
いつしかに蒸汽(じようき)の鈍(にぶ)き船腹(ふなばら)の
ごとくに光りかぎろひし瘋癲院(ふうてんゐん)も暮れゆけば、
ただ冷(ひ)えしぶく茴香酒(アブサント)、鋭(するど)き玻璃(はり)のすすりなき。
草場(くさば)の赤き一群(ひとむれ)よ、眼(め)ををののかし、
躍(をど)り泣き弾(ひ)きただらかす歓楽(くわんらく)の
はてしもあらぬ色盲(しきまう)のまぼろしのゆめ......
午後の七時の印象(いんしやう)はかくて夜(よ)に入る。
空気は苦(にが)し......はや暗(くら)し......黄(き)に...... なほ青く......
四十一年九月
